ザ 語源 第19回 語源から読み解く「マーケティング」
2023.04.07 (金)
語源から読み解く「マーケティング」
「マーケティング」は「marketing」の外来語であり、このワードに対応する和風の訳語は見当たりません。「マーケティング」は比較的新しい経営用語の一つで、「市場:マーケット:market(※1)」に現在進行形や動名詞などで使う「ing」が加えられたものが語源です。
「マーケティング」の語源について説明する前に、まず「マーケティング」とは何か?ということについて見てみましょう。
近代マーケティングの父と評されるアメリカの経営学者、フィリップ・コトラーは「マーケティング」を「市場における顧客ターゲットを定め顧客の潜在的ニーズを汲みそれを満たす活動全般」と定義付けています。またマネジメントの父、オーストリア出身の経営学者、ピーター・ドラッカーは「マーケティングと販売は真逆のもの」と捉え、「マーケティングは販売を不要にする」としています。
「マーケティング」の発祥は大量生産と大量消費で生産力を拡大させていた19世紀前後のアメリカに遡るとされていますが、ドラッカーは日本の江戸時代において「マーケティング」を実践し成功させた事例を示しています。老舗百貨店「三越」の前身、呉服商「越後屋(えちごや)」の三井高利(1622年~1695年)が始めた「店先(たなさき)売り、現金・正札・掛値なし、店先仕立て」の仕組みです。
当時、着物を商う呉服商は大名や有力武士階級など得意先で反物の注文を取り、支払いは掛け(クレジット)で行うことが一般的でした。従って販売価格が一物多価となり、加えて金利分と貸し倒れ分を上乗せすると商品価格が高騰し在庫回転率が悪化するビジネスとなっていました。天才商人の三井高利は江戸町人が集う日本橋に大型店を構え、反物を一反(※2)売りではなく顧客が欲しい分だけ値札(正札)をつけて現金で切り売りする仕組みを作ったのです。大型店において現金で生地を大量に裁くため回転率が向上しました。
さらに店舗に縫製職人を置き、購入した生地を着物に仕立て店先で引き渡すサービスも加えました。このようにして江戸の町民は手軽かつ安価に着物を手に入れることが可能となりました。現代の販売手法である「イージーオーダー」や「エブリデイロープライス」のようなビジネスモデルが江戸時代に存在していたということです。
三井高利が生み出したこのビジネスはその後も長期に渡り繁盛し続け、他の呉服商の模倣によるビジネスモデルの陳腐化やコモディティ化は見られませんでした。「現金・正札・掛け値なし」のビジネスは欲しい分だけ安価に着物を手に入れたかったという江戸町民の潜在ニーズに対応したマーケティングであり、掛けで支払いを行っていた大名や有力武士階級目当てに商売を行っていた他の呉服商は容易に顧客層を変更しマネをすることは出来なかったと考えられます。
また既存ビジネスを変更し、①大型店、②現金・正札・掛け値なし、③イージーオーダー店頭渡し、の組み合わせを丸ごと真似することも困難であったと想像します。ドラッカーはこれを世界発の「売れ続ける仕組み」、すなわち「マーケティング」と捉えたのではないかと思います。日本の経営者は「マーケティング」が不得手と言われますが、ドラッカーに「そんなことないよ」と叱咤激励されているのではないでしょうか。
次はマーケティング先進国であるアメリカ企業における実例を3つ紹介したいと思います。全て私共日本人の身近にあるビジネスです。
1つ目はサンダルの進化系「クロックス:Crocs」です。「クロックス」はサンダルと同じ素足に馴染む履き心地のまま外出することが可能なフットウエアを世に送り出した企業です。非常にカラフルなバリュエーションに加え、自分好みのアクセサリーを自由に付け足元を彩ることが可能なオプションを備え、他のフットウエアの分類とは違うもう一つのマーケットを生み出しています。
2つ目はビーズソファーを製造販売する「ヨギボー:Yogibo(※3)」です。「ヨギボー」のソファーに身を沈めたことが人は「気持ち良すぎて抜け出られない」ことを知っています。筆者も愛用者ですが、日本の大手家具製造販売や大手生活雑貨店で販売されている同じようなビーズソファーも使いましたが、全く別物と感じます。「ヨギボー」の全身を包み込む心地よさは「育児でクタクタになった母親が赤ちゃんを抱いたままソファーに飛び込んでも安全」という水準を目指し開発されたそうです。ソファーの柔らかさは何年使い続けても持続し、反発力が弱まった場合は別売りのビーズを補充すれば新品同様に蘇ります。「ヨギボー」の愛用者はビーズを購入し補充し続ける訳です。
3つ目はコーヒーチェーン店「スターバックス」です。「スターバックス」が販売するのはおいしいコーヒーだけではなく、一杯のコーヒーを通じて提供される「この上ない居心地」です。「スターバックス」は家でも職場でもない居心地の良い空間を「第3の居場所(サード・プレイス)」と呼んでいます。
全国都道府県所在地及び政令指定都市の中で最も市民1名あたりの喫茶店消費代が高いランク(※4)は岐阜市、名古屋市ですが、岐阜市がある岐阜県と名古屋市がある愛知県のコーヒー消費量のランクは全国47都道府県の中間程度に位置しています。つまり岐阜・愛知県民は単にコーヒーを飲みたいのではなく「居場所」を求めていると推測できます。筆者は愛知県名古屋の出身ですが、名古屋では住宅地の中に喫茶店がある光景をよく見かけ、「パジャマ」で喫茶店に行くことが可能です。大手コーヒーチェーン店が名古屋で成功するのは難しいとよく言われたものですが、「スターバックス」はそのジンクスをあっさり破りました。名古屋人が潜在的に求めているニーズとマッチしたのではないかと思います。
今まで紹介してきたマーケティングの事例はいずれも顧客が持つ課題を汲み取り、その解決策を企業が仕組みから作ることから始め独自のマーケットを構築してきたと見ることが出来ます。3社は共通して顧客に「心地よさ」という価値を提供しています。
ここで「マーケティング」の語源に立ち戻りたいと思います。冒頭に示した通り「マーケティング:marketing」は「market」プラス「ing」が語源です。「マーケティング」は「売れ続ける仕組みを作ること」から「マーケットの現在進行形」と説明されることがありますが、「独自の市場を構築すること」が真の語源ではないかと想像します。「越後屋」の例やアメリカ企業のマーケティングの事例に見る通り、既存の市場で商売を競うのではなく、「独自の市場」言わば「独自の土俵」を構築してきたからです。優れた「マーケティング」はなぜ模倣が難しいのか?それは優れたマーケターが顧客の課題解決や顧客の潜在的な欲求を抽出・満たすために全力を尽くすことに対し、模倣者は単に儲けたい、自分の欲求を満たしたいという動機の違いがあるからだと思います。
最後に「顧客」との対話を通じて「マーケティング」を行った事例をもう一つ紹介したいと思います。マーケティングの主役は人間ではなく動物の「犬」です。
犬がオオカミから進化し家畜化されたのは1万5000年~1万8000年前と推測されています。人類は最初に狩猟を行う際のパートナーとして犬を選びました。犬は優れた運動能力と嗅覚を活かして獲物を発見・回収し、飼い主である人間(顧客)の要求に応えました。
現在、飼い主が公園で愛犬とボール遊びで戯れる際、飼い主が投げたボール(またはフリスビー)を愛犬が正確に捉え回収してくるのは狩猟のパートナーであった頃の習性の名残です。犬の祖先と考えられているオオカミは群れを統率するリーダーに対し忠実に従い、チームプレーで獲物を狩る習性があります。リーダーと認めた飼い主に対し忠実な行動をとるのはその為です。犬は飼い主である人間、つまり顧客のニーズと忠実さという特性をマッチさせ、人類の狩猟のパートナーというポジションを確立させたのです。
人間は長い間、食糧を得る手段として狩猟を行っていましたが安定かつ持続的な食糧確保のため農業や牧畜業に生業を変えていきました。農業が定着することで人間は定住地で暮らすようになりました。犬もその変化に合せ、人間が飼育する家畜の見張りや誘導、飼い主が住む家の防犯(番犬)などに自らのポジションを作り変えました。顧客の居場所や潜在的なニーズの変化に合せ、自らの特性を活かしつつ新たなマーケットを創るのは「マーケティング」そのものと言えるのではないでしょうか。
「番犬」は通常、「防犯」という役割のため飼い主が住む家の外の犬小屋にいますが、現在東京都で飼われている犬の87%は「室内犬」です(※5)。飼い主のニーズが「防犯」から一つの屋根の下で一緒に暮らすことによる「癒し」に変化したので犬も役割を変えたのです。犬は人間が狩猟生活を行っていた時から一貫して飼い主に忠実です。職場では満たされない承認欲求も家に帰れば愛犬が全肯定で満たしてくれることでしょう。犬は顧客(飼い主)からの報酬として恒常的な餌と世話を享受できることに加え、「家族の一員」という特別なポジションを得ました。
犬は言葉が話せません。しかし犬は1万年以上に渡り人間と対話を重ね、報酬である食糧を恒常的に得られる仕組みを次々に構築してきました。犬ほど優れたマーケターはいないと思います。
※1「market」の語源は「ザ 語源 第17回 マーケットと市場」をご参照ください
※ 2 反(たん)は着物の生地である反物(たんもの)の単位
土地面積の単位である「反」については「ザ 語源 第7回 不動産の面積「坪」とは?」をご参照ください
※3 「ヨギボー:Yogibo」はアメリカの製造元を2021年に日本の販売会社が買収しました。
※4 総務省全国家計調査 2022年より参照
※5 東京都福祉保健局 東京都における犬及び猫の 飼育実態調査の概要 (2017年)より参照
※本記事で解説する内容について、実際の言葉の成り立ちや、一般的とされる説と異なる場合がございます。
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