経営者インタビュー 日本企業のアジア進出を支援!中国ビジネスの“過去”と“今”<前篇> 株式会社ジェネラルトレーディング
2020.01.14 (火)
日本企業のアジア進出を支援!中国ビジネスの“過去”と“今”<前篇>
株式会社ジェネラルトレーディング(兵庫県西宮市)は、中国の商工会議所や各団体と連携し、主に中国企業と中国進出を目指す日本企業とのマッチングを得意とするユニークな企業です。同社は長年、中国に進出する日本企業を支援し、中国企業との代理店契約やライセンス契約に至るまでの支援を行ってきました。
今回は、中国ビジネスで数多くの艱難辛苦を経験してきた代表取締役社長の上田祐之氏に、中国ビジネスの“過去”と”“今”ついて迫りました。
―― 海外でビジネスを始めたきっかけはありますか?
上田社長(以降、上田):
子どもの頃、実家がオートバイのパーツの卸・小売業を営んでおり、父は仕入れのため頻繁に海外に出向いていました。当時は為替が固定相場だったため、海外製品が高く、父が買ってきてくれたお土産のチョコを友だちにあげたら、とてもうらやましがられたことを覚えています。その頃から海外に憧れがあり、大人になったら海外でビジネスをしようと心に決めていました。
―― どんなビジネスを海外で始めましたか?
上田:新卒で入社した会社を3年未満で退職したあと、アンティーク時計の仕入れと卸しを最初に始めました。もともと時計が趣味で、時計にかかわる貿易の仕事がしたいと考えていました。そんな中、日本で高額で取引されているアンティーク時計がアジアでは安く販売されていることを前職の先輩が教えてくれ、バンコクでアンティーク時計を手に入れることから始めました。
当時はお金もノウハウもありませんでしたが、全財産である50万円を握りしめ、「もし失敗しても夜通しバイトをして生活すればリスクはないだろう」と腹を括ってスタートしました。
当初は噂通り、商品が安く売っており、年に数回仕入れても販売が追いつかないくらい順調でした。しかし、しばらくしてアジア通貨危機などで為替が大きく変動してしまい、商品の仕入れが困難になってしまいました。
今度は時計の生産が盛んな香港に軸足を移し、ノベルティ用の時計づくりを始めました。フィギュアの製作等も手掛けながら、大手の生命保険会社や鉄道会社等向けに販売先を拡大していきました。
―― 香港でビジネスを始めたころ、 どのようなことで苦労しましたか?
上田:
当時工場が広東省深セン市の北に隣接する東莞(とうかん)市にありました。2000年代初めの中国はまだまだ発展途上であり、世界的な大企業が利用する工場でも工員への教育が行き届いていませんでした。
昼食は工場の外でアルマイトの大きな鍋からお玉ですくって工員へ支給していて、例えは悪いですが収容所のようなイメージでカルチャーショックを受けました。
依頼した製品の質が低く、工場と揉めることも何度かあり、社長として常に対応に奔走していたことも大変だったのですが、それをいつも他人事の様に見ていた社員の姿が一番ショックでした。
―― その後、メーカーからサービス業に転換していますね?
上田:
心機一転、一から事業をスタートすることにしました。ひとつは、教師の養成でトップレベルを誇る北京師範大学近くに事務所を構え、当時はまだ珍しかったWEB上でのお茶の間留学の中国語版サービスを始めました。
名門の北京大学や清華大学にも近く、優秀な講師を集められた上、現地のベンチャー企業とも提携し、ビデオチャットシステム等のシステム構築にも成功しました。しかし、日本でなかなか生徒が集まらない。ビジネス上で中国語が話せる人が重宝され、総合商社でも中国語が必須となってきたにも関わらず・・・。事業は軌道に乗ることなく他社に売却しました。
そのほか、北京首都国際空港にあるVIP専用通関部門と海外企業として初めての契約をしました。2008年北京オリンピックが近づいていたため需要を期待しましたが、大手旅行代理店数社と契約できたにも関わらず、こちらも思うように集客できず、事業は自然と開店休業状態となりました。
―― 現在は、どのような事業をしていますか?
上田:
現在はこれまでの失敗や経験を活かして、中国企業と日本企業のマッチングサービス等を手掛けています。これまで幾度となく遭遇した現地でのトラブルや困難を乗り越えた経験を踏まえ、中国に進出する日本企業の支援をしています。オーダーメイドのマッチングサービスは、これまでの経験をもとに作りあげたネットワークを使った当社ならではのもので、多くの実績も出ています。
後編では、中国ビジネスで気をつける点について伺います。