なぜなにワード解説 新紙幣の渋沢栄一って?
2024.08.07 (水)
新紙幣の渋沢栄一って?
2024年7月から新しい紙幣が発行され、そのうち1万円札の肖像画が福沢諭吉から渋沢栄一に変わりました。今回は、なぜ渋沢栄一になったの?と思われる方のために、まずはその略歴からご説明いたします。
渋沢は農民の生まれでしたが、家は養蚕や藍玉の製造を営んでおり、幼少期のころから家業を手伝い、仕入れや販売をしていたため、経済感覚はこの頃に磨かれたと言われています。
24歳のときに一橋慶喜に仕えはじめてから2年後、慶喜が相続し徳川慶喜となり、渋沢はそのまま幕臣となりました。翌年慶喜の弟である昭武とともにフランスに渡り、パリ万博を視察しました。この視察で先進的な技術だけではなく、資本主義や経済学など、当時日本にはない文明を実感することとなりました。
この間に大政奉還があったため、1年ほどですぐに帰国します。駿河国駿府(今の静岡県)で隠居していた慶喜に面会し、そのまま駿府藩に勤めます。その次の年に日本で初めての株式会社である「商法会所」を設立します。この功績が伝わったからか、その後明治政府に招かれて上京し、大蔵省に勤めることとなりました。
その後大蔵省を辞めてからは実業家として、「第一国立銀行(現在のみずほ銀行)」の創設・総監役就任を皮切りに、様々な有名企業の取締役・理事・相談役等を務め、創設・育成に関わりました。70歳になり実業界から引退を表明した後も、教育・社会事業や民間外交に尽力しました。
渋沢が「近代日本経済の父」と親しまれているゆえんは実業家時代にあり、約500もの企業・団体の創設や経営に関わったと言われています。例えば「ENEOS」「KDDI」「三菱UFJ銀行」「関西電力」「東京ガス」「JFE」など今の生活に無くてはならない大企業が多く名を連ねます(詳しくは下記のURL参照)。ただその成功を自分の利益にするのではなく、自身の「道徳経済合一説」に基づき、豊かな社会を形成するために使いました。教育や社会事業などにも多大な貢献をしたため、今回の新札に選定されたと考えられます。
参考)帝国データバンク「渋沢栄一関連企業」調査(2024年7月)
(http://www.tdb.co.jp/report/watching/press/pdf/p240701.pdf)
公益財団法人 渋沢栄一記念財団
(https://www.shibusawa.or.jp/index.html)
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